みやざわ農園
 

真田幸弘公から「検分」を任された宮澤家。
式内清水神社の秋祭りを守って250年。

江戸時代、秋祭りの際には「喧嘩神楽」が奉納されていました。
真島の6組(本道、中真島、堀之内、北村、前淵、梵天)から、刀等の刃物を持って、争いながら我先にと清水神社に向かうため、ケガ人が出たり、田畑を荒らしたりで、何年も神社に神楽の奉納が出来ない時期があったそうです。

宮澤家の門
宮澤家の門

そこで真田幸弘公から、松代藩で御目見・剣術の指南役をしていた宮澤喜左衛門に「仲裁をせよ」との命令があり、6組の代表者を集め、血判状と和談書を作成しました。
清水神社には、この時の血判状と和談書が残されています。

それからは秋祭りでは、まず6組の神楽が宮澤の屋敷に集まり、刀等金物を持っていないか確認をし、神楽の奉納をする「検分」をしてから、清水神社に向かうようになりました。

庭先でお囃子をする様子。
庭先でお囃子をする様子。
奥に座る宮澤家当主の前で、神楽を舞います。
奥に座る宮澤家当主の前で、神楽を舞います。
検分を終え、清水神社へと向かいます。
検分を終え、清水神社へと向かいます。
神楽の検分は新聞でも紹介されました
神楽の検分は新聞でも紹介されました

6組の神楽の「検分」は3年程続き、それから約250年間は、本道組の大々神楽が6組の代表として宮澤家に来られ、奉納をしてから清水神社へ向かうのが通例となっています。

江戸時代に作られた「庭」と「蔵」

「信陽まつしろはん伝統文化研究所」の専門家の案内で、江戸時代に作られた宮澤家の庭や蔵も見学会も開催されました。

宮澤家の庭。江戸時代に作られました
宮澤家の庭。江戸時代に作られました
宮澤家の蔵。
宮澤家の蔵。
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